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おもしろいこと言える大人になるためには何をすればよかったのかと考える無駄使い

缶に詰められたコーンスープは進化しなくてもいいや

何をしていてもサマになる、絵になる人間がいるいっぽうで、誰がしていてもまぬけでどことなくおかしみを催す行為がある。矛盾しているようで、サマメン・サマウーメンはその世界観に「まぬけ」という不協和音すらのみ込む力を持っているので、二者は昇華されたりする。

スチール缶に詰められたコーンスープはしゃきしゃきのコーンの粒が入っていて、自動販売機で買うなんて経済的じゃないやなんて理屈を無視して、時に衝動的に購入したくなる魅惑の逸品である。ただいつまでたってもコーンの粒を完全に腹におさめることはできない。スープを飲み干し、底に残った粒を「でてこいやおら」と小突き続けるのはけっこう根性がいる。まぬけな自分の姿に気がついたら負ける。

でも「あいつめー」と思う人物が、寒空の下でコーンスープを買って、大事に大事に手のひらにおさめて、粒を咀嚼しながらぼんやりしているところを想像すると、なんだかおおらかな気持ちになれる。「まぬけ」なその人を許せるような気持ちになる(刹那的に)。世の中にはあんがい、そういうふうに演出され潤滑油になる「まぬけ」のタネがあるんじゃないかと思ったのだった。